徳川家菩提寺


上野の寛永寺は、芝の増上寺と並んで徳川将軍家の菩提寺です。
場所は、JR山手線・鶯谷駅より徒歩5分程で上野公園の東側に位置します。
将軍家の霊廟は、寛永寺・第三霊園の中に有り、左の写真の門により一般霊園とは区切られています。流石に将軍家と思わせる木立に囲まれた霊園には、四代家綱、五代網吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定の霊廟が有ります。

天璋院様の霊廟は、夫である家定公の霊廟と並んでおり、歴代将軍の中にあってご夫婦で墓碑が並んでいるのは、芝・増上寺の家茂公と静観院宮様との、この二組のご夫婦だけだそうです。
激動の幕末を生き、幾多の困難に立ち向かわれた二人の御台様にとって、心休まる配慮であると思うのは私だけでは無いでしょう。

写真左下は判り辛いですが、第五代・綱吉公の霊廟から見た瓦解後の第十六代、第十七代、第十八代の墓碑です。
歴代将軍の物と比較すると、大きさも半分以下なのは仕方のない事なのでしょうね。


私は今日、(2003.10. 1)台東区主宰/上野の山文化ゾーン・フェスティバルの行事の一つである、「寛永寺・徳川歴代将軍霊廟及び葵の間公開」へ行って参りました。
勿論!【天璋院様のお墓参り】が目的で応募したのです。
運良く、80人の定員に対して1000人の応募だったそうですが当選して、いそいそと出掛けましたが・・・。
なんと、行ってガッカリ?(綱吉公/吉宗公には申し訳無いです)な事に、全ての霊廟が公開される訳では無くて、今回拝見出来たのは第五代・綱吉公(右の写真上)のものと第八代・吉宗公(右の写真下)のものでした。

天璋院様と第十三代・家定公の霊廟は、先程触れた上の写真の第十六代、第十七代、第十八代の墓碑の奥に有るそうです。(写真を写した場所からは見えませんが)
天璋院様のお側まで行きながら(本当に目と鼻の先です)お目通りが叶わなかったなんて残念です。
いつか、天璋院様のお墓参りが叶うまで、毎年この行事に応募し続けようと思いますが、やはり知名度からして綱吉公/吉宗公となってしまうのでしょうか。
大きな未練を残して帰途に着く私でした。


*執事長の説明によると、霊廟の構造は二重〜六重構造になっており、当時は火葬では無くご遺骸はお公家風の座った形で棺に収められているそうです。
歴代将軍の霊廟の図面は、唯一、第十一代・家斉公のものが詳細な形で残っているのみだそうです。
また、当時の棺の絵図は唯一、静観院宮様(芝・増上寺)のものが存在していて当時の埋葬の様子が分かったそうです。
Ms.2003.10.01

【葵の間】
朝敵になり大阪城から急遽、江戸へ敗走して来た第十五代・慶喜公が、江戸城開城までの二ヶ月間を謹慎して過ごした葵の間も同時に公開されました。
執事長は慶喜公を誉め讃えていましたが、天璋院様を敬愛する私としては、天璋院様が(静観院宮様も同様でしたね)忌み嫌っていた慶喜公に対する印象は変わりの無いものでした。
歴史の解釈とは、人によって、そして読んだ書物によって随分印象が変わるものですね。

このコーナーは【天璋院様のお墓参り】が実現し次第更新致します。

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