今も尚、江戸城の建物が現存する寺
喜多院と徳川家との縁は、慶長十六年に家康公が川越を訪れた際から始まるそうです。 当時の天海僧正の意見により寺領四万八千坪と五百石を下し喜多院と名称を改め、その後四代将軍・家綱公の時に東照宮に二百石を下し時勢をふるったそうです。 また寛永十五年の川越の大火により焼失した際は、三代将軍・家光公の命により【江戸城・紅葉山】の別殿を移築し客殿、書院等に当てられました。 この事により、【家光公誕生の間】や【乳母・春日局の化粧の間】等が、当時のままの姿で喜多院に現存することとなりました。 またその室内には、当時の家具や調度品なども多数展示されていますが、撮影不可の為に此処で紹介出来ないことは残念です。 |
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江戸城より移築された建物です。 内部は家光公誕生の間、春日局の化粧の間等があります。 |
お寺の本堂と江戸城よりの移築部分とを繋ぐ渡り廊下です。 |
写真・左は移築部分より、右は渡り廊下より見た江戸城・紅葉山の庭園を模した喜多院・奥庭園です。 写真では木立により遮られていますが、勇壮な庭園は寺院のものとは思えず、堀などもあり流石に江戸城の庭園を偲ばせるものでした。 |
喜多院とは別棟になっていますが、同じ敷地内にある【東照宮】です。 明治維新の神仏分離令により、今は別管理になっていますが元々は喜多院と同一の全国に数ある東照宮の一つです。 |
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Ms. 2004.05.01 |
折角、川越を訪れましたので、川越の古い街並みも見学して来ました。 有名な”時の鐘”や”蔵造り”等、まるで江戸時代にタイム・スリップしたかの様な街並みです。 |
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