天璋院様(篤姫)の居城・江戸城の変遷を年表にしてみました。 こうして見てみると火災の多さに驚かされますね、耐火性の建材も無く、照明も調理道具も直接火を使う物ばかりだったせいでしょうか。 また天守にまつわる云われや、各御殿にまつわるお話しも興味深いものがある様です。 そして【天璋院篤姫】の小説中では、実成院様のお住まいになっていた三の丸・御殿も早い時期に撤去されていた様ですし、一時、天璋院様が二の丸に住まわれた時期も小説と史実で若干の違いがある様ですね。 天璋院様のお住まいである二の丸が、慶応三年に全焼したのは薩摩藩士による放火との話を聞いた事がありますが興味深い事柄です。 年表中、桃色の背景部分が天璋院様が江戸城に住まわれていた時代です。 江戸城・開城後の天璋院様は、江戸城内の一橋邸を始まりに幾つかの大名邸を転々と移居されて、明治十年に千駄ヶ谷の広大な土地に東京・徳川邸を建てられ、お亡くなりになられるまでそこをお住まいとされました。 この徳川邸は、第二次世界大戦の直前まで徳川宗家の居住でしたが、その後東京都に譲り渡され、これより徳川邸は現在に至るまで渋谷区の原宿へ移居する事となりました。 |
Ms. 2004.02.02 |
和暦 | 西暦 | 事項 |
長禄 元 | 1457 | 太田道灌により築城 |
文明 一八 | 1486 | 太田道灌、主君上杉定正に謀殺される |
大永 四 | 1524 | 北条氏綱が江戸城を攻略、城代に遠山氏を置く |
天正 一八 | 1590 | 徳川家康の居城となる(八月一日入城) |
文禄 元 | 1592 | 翌二年に掛けて普請、西の丸を新築し仮御殿を造営 |
慶長 八 | 1603 | 神田山を崩し、外島州崎を埋め立て、城下を拡張 |
慶長 一一 | 1606 | 江戸城の大増築工事が始まり、 本丸・二の丸・三の丸と溜池から雉子橋までの外曲輪を築く 初期の本丸御殿が完成 |
慶長 一二 | 1607 | 江戸城(慶長度)天守が完成、北の丸を築く |
慶長 一六 | 1611 | 西の丸、吹上の堀幅の拡張と桜田土橋の石垣・堀幅を拡張 |
慶長 一九 | 1614 | 本丸山の手・大手門・内桜田門などの石垣を築く |
元和 四 | 1618 | 紅葉山東照宮が完成 |
元和 六 | 1620 | 内桜田・清水門などの城内諸門の枡形を築く |
元和 八 | 1622 | 本丸の大改造工事着手 |
元和 九 | 1623 | 江戸城(元和度)天守が完成 |
寛永 元 | 1624 | 西の丸御殿に改めて御殿を造営 |
寛永 六 | 1629 | 江戸城の大拡張工事が始まる |
寛永 一一 | 1634 | 西の丸御殿が焼失 |
寛永 一二 | 1635 | 二の丸拡張工事始まる、翌年完成 |
寛永 一三 | 1636 | 外郭修築工事に着手、江戸城の内郭・外郭が完成 西の丸御殿が完成 |
寛永 一四 | 1637 | 本丸天守台改造 本丸御殿を改めて新造 |
寛永 一五 | 1638 | 江戸城(寛永度)天守が完成 |
寛永 一六 | 1639 | 本丸御殿を焼失、翌年再建し完成 |
寛永 二○ | 1643 | 二の丸御殿を世継ぎのための御殿として造り替える |
慶安 元 | 1648 | 三の丸御殿が完成 |
慶安 三 | 1650 | 西の丸御殿改築 |
明暦 三 | 1657 | 明暦の大火により天守はじめ、本丸・二の丸・三の丸の御殿、 櫓などを焼失 同年、越谷別殿を二の丸に移築し、二の丸御殿とする 翌年、天守台石垣を構築、その後に三の丸御殿を再建 |
万治 二 | 1659 | 本丸御殿が再建される |
正徳 二 | 1712 | 天守再建計画が提出されるが廃案になり、 これ以後に天守は建てられない |
亨保 七 | 1722 | 江戸城外郭の塀を撤去し松を植える |
亨保 九 | 1724 | 外郭の芝口門渡り櫓が焼失 |
元文 三 | 1738 | 三の丸御殿を撤去 |
延亨 四 | 1747 | 二の丸御殿を焼失 |
宝暦 一○ | 1760 | 二の丸御殿、大御所御殿として完成 |
安永 元 | 1772 | 目黒行人坂の大火により、二の丸巽三重櫓、神田門、 馬場先門、日比谷門を消失、翌年復旧 |
天保 四 | 1833 | 大名小路より出火し鍛冶橋門、数寄屋橋門を消失 |
天保 九 | 1838 | 西の丸御殿を全焼、翌年再建 |
弘化 元 | 1844 | 本丸御殿を全焼、翌年再建 |
嘉永 五 | 1852 | 西の丸御殿を全焼、この年再建 |
安政 三 | 1856 | 篤姫、江戸城入城(十一月十一日) |
安政 六 | 1859 | 本丸御殿を全焼 |
万延 元 | 1860 | 本丸御殿再建(本丸御殿最後の造営) |
文久 元 | 1861 | 天守台の石垣を縮小整備し、現在の姿になる |
文久 三 | 1863 | 本丸、二の丸、西の丸御殿を全焼、 これ以後、本丸御殿は再建されず 西の丸御殿は翌年完成 |
慶応 元 | 1865 | 天璋院の御殿として、二の丸御殿が完成 |
慶応 三 | 1867 | 二の丸御殿を全焼 |
明治 元 | 1868 | 江戸城、無血開城(四月十一日) |
明治 五 | 1872 | 旧江戸城の二の丸、西の丸、吹上を皇居とする |
明治 六 | 1873 | 旧江戸城内の建物の取り壊し 神田橋・一橋・日比谷・数寄屋橋・呉服橋・常盤橋・雉子橋・ 水道橋・小石川・四谷・赤坂・市谷・牛込・虎ノ門・新橋・ 山下・幸橋・筋違橋・浅草橋などの門を撤去 旧西の丸御殿(皇居)焼失 |
明治 二一 | 1888 | 正門石橋と鉄橋(二重橋)を改架 |
明治 四三 | 1910 | 旧二の丸の蓮池門を名古屋城の榎多聞として移築 |
大正 八 | 1919 | 旧二の丸、三の丸の堀を埋める |
大正 一二 | 1923 | 関東大震災により諸櫓・諸門が破損 |
大正 一四 | 1925 | 震災による破損箇所を修理 |
昭和 六 | 1931 | 富士見櫓の蓮池堀を埋める |
昭和 二○ | 1945 | 空襲により大手門が焼失 |
昭和 三九 | 1964 | 北の丸公園を整備 皇居正門の鉄橋を改架 |
昭和 四二 | 1967 | 富士見櫓の外装を修理 |
昭和 四四 | 1969 | 桜田巽櫓の外装を修理 |
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