天璋院篤姫が徳川家の安泰と共に拘ったもの・・・それは江戸城でした。
今は皇居となり当時の面影も薄く、特に内部は当時からの建造物が皆無に等しいのは残念ですが、天璋院篤姫という人の生き様や人柄に惹かれる者として、当時の江戸城での生活を偲びたい気持ちに満ち溢れます。

日本史上最大の巨城であるこの江戸城も、幕末の頃の歴史を顧みると十三代将軍・家定と十四代将軍・家茂との世継ぎの間、そして長期に渡る家茂の京へ上洛の期間、その家茂亡き後十五代将軍・慶喜が薩長征伐などの戦が多く慶喜も大阪城暮らしが長かった事を思うと、かなり長き日々を事実上の女主として天璋院篤姫が江戸城を守っていたと思われます。
それ故の責任感から、お城に対する執着も大きなものであったのでしょうね。

その天璋院篤姫も江戸城内を頻繁に転居していた様です。
本丸・大奥、西の丸・御殿、二の丸・御殿、と転居して最後は西の丸・御殿に戻った様ですが、その他にも火災時には同じ城内の清水邸へ仮住まいしたり、開城後はやはり同じ城内の一橋邸へ移ったりと歴代の御台所の中でも転居の多い方だった様です。
火事は江戸の華と言いますが・・・江戸城の年表等を見ても、お城も例に漏れず火災が多かった事に驚かされます。
この様な事から江戸城(千代田城)に関心を持ち、【地図と写真で見る・幕末明治の江戸城】平井聖・監修/浅野伸子・解説(学研)を購入しましたが、許可無く複製・転載は禁じられていますので此処での紹介が出来ずに残念です。
本は、明治4年に撮影された江戸城の写真と、江戸城周辺の古地図の二部構成になっています。

この本を見て非常に残念に感じたのは、明治4年の当時でも火災などによって数多くの建造物が消失していた事と、当時の新政府/明治政府が財政難であった事から(幕末の徳川幕府も同様か?)荒れるに任されていた事です。
ドラマ等で見掛ける雅なお城を想像していた私は残念でなりません。
そしてもう一つ、撮影当時には未だ健在であった筈の天璋院篤姫の江戸城にて最後の住居、西の丸・御殿は既に天皇陛下がお住まいになっていた為に撮影不可だったのでしょうか、写真が一枚も無く残念に思いました。

それ程高価な本ではありませんから、興味をお持ちの方にはお薦めの一冊だと思います。
明治4年の撮影とは言え、腰に刀を差した侍なども写っていて殆ど江戸時代同様の風景に触れる事が出来ます。

Ms.2003.09.18


1. 江戸城の変遷(年表)
2. 江戸城の風景(現在)
3. 江戸城(天守閣)の模型



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